1オクターブをどのように12の音に分割するかという問題は、古代ギリシアのピタゴラスから18世紀のバッハの時代に至るまで、西洋音楽が2000年以上にわたって向き合い続けてきた課題でした。その根本には、完全五度(3:2)を積み重ねていっても純粋なオクターブ(2:1)には決して一致しないという「ピタゴラスコンマ」の問題があり、この小さなずれをどこに、どのように配分するかという選択が、時代ごとに異なる音律を生み出してきました。
この記事では、完全五度の連鎖によって音階を構成するピタゴラス音律から説き起こし、三度の協和を重視した純正律、鍵盤楽器のための実用的な折衷案であるミーントーン、あらゆる調を演奏可能にしたウェル・テンパラメント(バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の時代)を経て、最終的にオクターブを数学的に12等分する平均律が確立されるまでの音律史をたどります。
ピタゴラス音律 - 完全五度の連鎖
完全五度による音階の構成
ピタゴラス(前570頃-前495頃)は、モノコード(一弦琴)の弦の長さを整数比で区切ることで、協和する音程が単純な整数比に対応することを見出したと伝えられています。オクターブは2:1、完全五度は3:2という比率がその基本であり、ピタゴラス音律はこの完全五度を次々に積み重ねていくことで1オクターブ内の12の音をすべて導き出す音律です。ドから五度上のソ、ソから五度上のレ、というように五度を12回積み重ねると、理論上はもとの音に戻ってくるはずであり、この単純な原理の美しさは、数と調和を結びつけるピタゴラス派の宇宙観そのものとも結びついていました。
ピタゴラスコンマという根本問題
ところが実際に計算すると、純正な完全五度(3:2)を12回積み重ねた音程と、純正なオクターブ(2:1)を7回積み重ねた音程は、わずかに一致しません。(3/2)の12乗と2の7乗の比は531441:524288というごくわずかな差(約23.46セント)を持ち、これが「ピタゴラスコンマ」と呼ばれるものです。この差はどれほど精密に五度を調律しても消えることのない、音律という営み全体につきまとう根本的な制約であり、以後2000年にわたる音律の歴史は、この小さなずれをどこに押し込め、どう折り合いをつけるかをめぐる試行錯誤の連続だったと言えます。ピタゴラス音律では五度をすべて純正に保つ代わりに、長三度が81:64というかなり広い比率(ディトヌス)になってしまい、これは5:4という単純な比率からずれた、うなりの目立つ響きになるという副作用を伴っていました。
純正律 - 三度の協和を求めて
ツァルリーノと五限界純正律
中世まで三度・六度は不完全協和音程、あるいは不協和音程として扱われてきましたが、ルネサンス期のポリフォニー音楽では三度・六度を基調とする和音がしだいに中心的な役割を担うようになります。この変化に理論的な裏付けを与えたのがジョゼッフォ・ツァルリーノ(1517-1590)で、1558年の著書『和声教程(Le istitutioni harmoniche)』において、1から6までの数(セナリオ)にもとづく協和理論を展開し、長三度を5:4、短三度を6:5という単純な比率で捉える「純正律」を体系化しました。ピタゴラス音律の81:64という三度に代えて5:4という三度を採用することで、三和音がうなりのない澄んだ響きを得られるようになったのです。
純正律の限界 - シントニックコンマ
しかし純正律にも別の問題が残ります。ピタゴラス音律の三度(81:64)と純正律の三度(5:4)の比は81:80、いわゆる「シントニックコンマ」(約21.51セント)と呼ばれるわずかなずれを持ち、音階の同じ音でも和音の機能によって微妙に高さを変えなければ三和音を純正に保てないという問題が生じます。鍵盤楽器のように1つの鍵に1つの高さしか割り当てられない楽器では、ある調では美しく響く純正律の調律も、和音が移り変わったり転調したりすると途端に破綻してしまいます。ニコラ・ヴィチェンティーノ(1511-1576)が1555年に考案した「アルチチェンバロ」のように、1オクターブに30を超える鍵を持つ特殊な鍵盤楽器で純正律を追求する試みもありましたが、演奏の実用性という点では大きな限界を抱えていました。
ミーントーン - 中全音律による折衷
五度を犠牲にして三度を得る
16世紀の鍵盤楽器・オルガンで広く用いられるようになったのが、ミーントーン(中全音律)です。ピエトロ・アロン(1480頃-1545頃)が1523年の著書『トスカネッロ・イン・ムジカ』で記述したことで知られるこの音律は、純正な五度(3:2)をわずかに狭く調律することで、四度分の五度を積み重ねた先に生まれる長三度がちょうど純正な5:4になるように仕組んだものです。もっとも広く使われた「4分の1コンマ・ミーントーン」では、各五度をシントニックコンマの4分の1だけ狭めることで、実用に足る和音の響きの美しさと調律のしやすさを両立させました。
ウルフの五度と使用可能な調の制約
ただしミーントーンでも、五度を12個積み重ねて1周する構造そのものは変わらないため、どこか1か所には歪みのしわ寄せが集中します。多くの場合それは嬰ト/変イのあたりに置かれ、うなりが極端に大きく耳障りな響きになることから「ウルフ(狼)の五度」と呼ばれました。この結果、ミーントーンで美しく響くのはハ長調に近い限られた調だけであり、遠隔調への転調は実質的に不可能でした。この制約を緩和するため、変ニと嬰ハのように異名同音を別の鍵として独立させる「分割鍵盤」を備えた鍵盤楽器も一部で作られましたが、根本的な解決には至りませんでした。
ウェル・テンパラメント - あらゆる調への道
ウェルクマイスターの調律法
17世紀後半、より多くの調を実用的に演奏できる音律を求める動きの中で登場したのが、アンドレアス・ウェルクマイスター(1645-1706)です。1691年の著書『音楽的調律法(Musicalische Temperatur)』でウェルクマイスターは、ピタゴラスコンマを12の五度に均等にではなく不均等に配分することで、極端に響きの悪い五度を作らずに24の調すべてを演奏可能にする、複数の調律法(ウェルクマイスターI~IV)を提案しました。これらは平均律のように全ての調が均質に響くわけではなく、調ごとに微妙に異なる性格(調性格、Tonartencharakteristik)を持つ点に特徴があり、この「不均等だが全調が使える」という発想が「ウェル・テンパラメント(良く調律された音律)」と呼ばれるようになります。
キルンベルガーと18世紀の調律法群
バッハの弟子であったヨハン・フィリップ・キルンベルガー(1721-1783)も、ウェルクマイスターの流れを汲む独自の調律法(キルンベルガーII・III)を考案しており、18世紀のドイツではこうした「ウェル・テンパラメント」が数多く提案され、実際に鍵盤楽器の調律に用いられていました。
バッハ「平均律クラヴィーア曲集」をめぐる誤解
J.S.バッハが1722年(第1巻)と1742年(第2巻)にまとめた『Das Wohltemperirte Clavier』は、日本語では「平均律クラヴィーア曲集」と訳されて広く親しまれていますが、原題の "wohltemperiert" は文字通りには「良く調律された」という意味であり、当時のドイツ語では均等な平均律を指す "gleichschwebend temperiert"(等しくうなる調律)とは明確に区別される言葉でした。つまりこの曲集のタイトルが本来意味していたのは、24の調すべてで演奏できるウェル・テンパラメントのことであり、今日一般的な12等分の平均律を指してはいなかったと考えられています。バッハ自身が実際にどの調律法を用いていたのかは今なお議論が続いており、1975年にヘルベルト・ケルナーが曲集の表紙に描かれた装飾的な渦巻き模様から特定の調律法を読み解こうとした説なども提示されていますが、確定的な結論には至っていません。
平均律の確立
朱載堉による数学的解決
1オクターブを数学的に等しい12の半音に分割するという発想を、世界で最初に精密な数値計算とともに示したのは、中国明代の皇族であった朱載堉(1536-1611)でした。1584年頃の著作(『律学新説』、のちの『楽律全書』に収録)において朱載堉は、算盤を用いた緻密な計算によって2の12乗根にあたる値を高精度に求め、隣り合う半音の周波数比がすべて等しくなる「十二平均律」の理論を完成させています。これは西洋における同種の理論的発見に先立つものであり、音律史上きわめて重要な達成でした。
ヨーロッパにおける独立した発見
ヨーロッパでも同時期、これとは独立に平均律の数学的な記述が試みられています。フランドルの数学者・技術者シモン・ステヴィン(1548-1620)は1580年代から1600年頃にかけて著した『歌唱術の理論(Van de Spiegheling der Singconst)』の中で、2の12乗根にもとづく平均律を理論的に導いていますが、この著作は生前には公刊されず、19世紀になってようやく発見・出版されました。また、リュートやヴィオールのようなフレット楽器では、複数の弦にまたがる1本のフレットで正確に音程を作る実用上の必要から、すでに16世紀のうちから平均律に近いフレット配置が経験的に採用されており、ヴィンチェンツォ・ガリレイ(ガリレオ・ガリレイの父、1520頃-1591)は1581年の著書『古代音楽と現代音楽の対話』で、18:17という比率を用いたフレット配置を平均律の近似として推奨しています。マラン・メルセンヌも1636年の大著『普遍的音楽(Harmonie universelle)』の中で、オクターブの均等分割について論じました。
鍵盤楽器への浸透 - 18世紀から19世紀へ
理論としては16世紀のうちに姿を現していた平均律ですが、実際に鍵盤楽器を耳で調律する現場に浸透するまでにはさらに長い時間を要しました。すべての五度をわずかに、しかし均等に狭めるという調律作業は、ウェル・テンパラメントのように特定の五度だけを大きく犠牲にする調律法に比べて技術的な難度が高く、18世紀を通じてはなお不均等な調律法が主流であり続けます。しかし19世紀に入り、遠隔調への自由な転調や異名同音的な読み替えが音楽語法の中心を占めるようになるにつれて、すべての調が均質に響く平均律の利点が重視されるようになり、ピアノ製造業の発展や調律技術の標準化とも相まって、19世紀後半までには鍵盤楽器の調律法として平均律が広く定着していきました。
結論
音律の歴史は、完全五度を純正に保とうとすると必ず生じてしまうピタゴラスコンマという小さなずれを、どこに、どのように配分するかをめぐる選択の歴史でした。ピタゴラス音律は五度の純正さを保つ代わりに三度の濁りを許容し、純正律は三度の純正さを取り戻す代わりに転調の自由を犠牲にし、ミーントーンは実用的な妥協点としてウルフの五度を1か所に押し込め、ウェル・テンパラメントは全調を演奏可能にする代わりに調ごとに異なる性格を残しました。そして平均律は、あらゆる音程をわずかに均等に濁らせることと引き換えに、調の違いという概念そのものを響きの上から消し去り、どの調へ転調しても均質に響くという全面的な自由を手に入れます。バッハの時代にはまだ「良く調律された」ウェル・テンパラメントと平均律とが明確に区別されていたことが示すように、平均律の最終的な確立は、単なる調律技術の精緻化ではなく、遠隔調へと自在に転調していく西洋音楽の語法そのものの変化と歩みをともにした出来事だったと言えるでしょう。
参考文献
- 『音律と音階の科学 - なぜ「ドレミ...」なのか』小方厚著 講談社ブルーバックス 2007年